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日記、ところにより妄想。
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ふと、休みの日になると無性に空虚感を味わうことがある。

やりたいことはたくさんある。やらねばならぬこともたくさんある。

けれど、ふと。物部布都。……ではなく、ふとした拍子に、胸のうちにぽっかりと穴が開いたような、何とも言えない閉塞感が生まれる。

「病まないよね」と周囲から絶賛される楽観主義の白武ではあるが、思い違いも甚だしい。生まれつきこうではない。病まないのではなく、病まないように努めているのだ。

白武の根底は中立・中庸。敵もなく、味方もなく。否定することなく妥協し、肯定することなく容認する。楽観ではなく、諦観をもって事に当たる。「とりあえず、それでいいんじゃね?」という後ろ向きな在り方だ。

そうでもしなければ現代社会の摩擦には耐えられないから、そうなるしかなかったのだ。

その生き方。その反動が、この空虚感だろう。

後ろ向きな在り方は、生きる熱意を削ぎ落していく。疲れ、とも言える。建設的な生き方というのは、疲れを癒す方法を探すことではなく、疲れる原因を取り除くことなのだから。

対処療法では病は完治しない。その大元を取り除かなければ、意味はない。

我を殺すほど献身的ではないが、我を通すほど傲慢ではない。その中途半端な在り様。どちらかに傾くことができれば、もっと生きやすいというのに。

中立でいるというのは無関心であることではない。例えるなら雨漏りだ。天井から二ヶ所、水滴が落ちているとして、そのどちらもこぼさぬようバケツを持って右往左往することだ。

僕が苦労すれば、その場が収まるなら、できる限りの無理はしよう。

ただ、不満があるとすれば。僕ができることを、なぜ他の人間はできないのか。

仲良くする必要はない。敵対しなければいいのだ。

否定ではなく妥協を。肯定ではなく容認を。

だが、どうしてだろう。なぜ昭和中期の人間というのは、好きや嫌いで物事を判断するのか。考えが合わなければ否定し、無視を決め込み、陥れようとするのか。歩み寄ろうとする意思はないのか。

そういう無様を見るのは、正直、辛い。

自分が正しいと。あいつが間違っていると。声高に同僚を否定する同僚がいる。

ああ、そうだろう。その人は何も間違っていない。でも、同時に正しいとは思わない。

もし、誰かが間違っていたのなら、否定するのではなく正すのが人の道だと思う。

そんなことを言えば、甘いと返されるだろう。

これだから苦労と知らないゆとり世代は、と。

……馬鹿な人。そんな言葉を吐けば、これだから昭和の人間は、と返されるに決まっているのに。

そんな昭和世代が、現代を作ったというのに。

価値観の相剋はもうどうしようもないのだから、諦める方向で容認してやれば楽なのに。それができないばっかりに、僕が苦労する羽目になる。

一番辛いのは病んだ人間ではなく、病まないように直前で踏みとどまっている奴だと思うんだよ。

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