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日記、ところにより妄想。
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少々下品な話ではあるが、最近快便である。

近況の変化としては、主に金銭的理由から外食を控え、自炊するようになったことが挙げられる。

とはいえ、我が不始末ながら家にいる時間は少ない。時間さえあれば幻想飯のレパートリーを増やしたいところではあるが、いかんせん忙しい。

というわけで、せめてもの抵抗ということで雑穀ご飯を炊いている。ぶっちゃけ、男には米とちょっとしたおかずがあれば十分なのである。おかずを腹いっぱい食べるより、米を腹いっぱい食べたいのだ。

どっかの研究家が、「人間の食生活に炭水化物は不要。むしろ毒」などという極論を言っていたが、白武らしからぬ発言ではあるが、万事科学が正しいとは思わない。食にはエネルギー補給という主題以外にも、文化、作法といった側面の意味合いがある。

近代科学から見れば過剰カロリーになるだろう炭水化物であるが、それが主食足り得たのは、古代ではいかに少ない量で大量のエネルギーを獲得することが生き残ることに直結していたからだろう。米は日本人の心である。連綿と続いてきた伝統ともいえる価値観を、近代科学の薄っぺらな効率云々で蔑にするのはどうかな、などといっちょ前に言ってみる。

で、よ。

作中のように麦粥を作ったり、米と麦を半々で炊くのは、まあ、いい体験資料にはなるけれど、仕事で疲れて帰ってきて更に苦行を積むのもいかがなものかと思うので、最近は現代人にも美味しく食べられる程度の比率にしている。逆説的に、あんなものしか食べられなかった昔の人は本当に辛かったんだろうな、と思う。

そんなこんなでここ一週間、雑穀ご飯を食べ続けているわけだが、なんというか、体調がいい。

かつて白米は高級品であり、最下層の人々は雑穀で飢えをしのいでいた。それが文明が発達に伴い米の価値が崩れ、いまや白米を食べるのは当たり前。むしろ、米に対するありがたみさえ喪失しつつある。その果てに、健康面における雑穀の有効性が語られる始末。貧困の象徴であったものが、裕福の象徴に勝るという皮肉。現代社会はまことカオスである。

というわけで、便秘気味な犬茶に雑穀飯を勧めてみた。

いやね、正味な話、あやつは土鍋で米炊くような凝り性だから、幻想飯的にちょっと食べてみたいんだわさ。

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