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日記、ところにより妄想。
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僕はメダロットが好きです。

とくに、ほるまりん先生の漫画版が大好きです。

こどもとおもちゃの友情を描くホビー系漫画でありながら、その実、哲学と倫理とSFをいい感じにミックスして、歳を取るほどに面白く感じるストーリー仕立ては見事と言わざるを得ません。

やはり、白武のハートをがっちりつかんだのはメダロット3編。

復刻版が出ていたので、ついつい買ってしまった。ボンボンコミックスって絶版だからね。中古屋でも見かけない。

さて、この時間軸では、明確に「メダロットとは何か」という謎にメスを入れます。

メダロット。それは、宇宙より飛来した異星起源の生命体。

与えられた使命は「他の星に降り、目覚め、そして増える」。

すなわち「侵略」。

地球に降り立ったメダロットの母・マザーは地球を見て、それを拒否した。

そこに、帰化生物を殺して既存の生態系を守ろうとしたブラックビートルのエピソードが絡みます。

ブラックバスやアメリカザリガニ、アライグマ……人間の一時の感情や利益で持ち込まれた外来種によって、その土地固有の生態系が崩れていく。

だからこそ、地球のマザーは二番目の命令を実行しなかった。作中では気紛れ、と表現されているが、自分たちが増殖することで既存の生態系の美しさを壊したくなかったからでしょう。

しかし、これまた人間の利己的な事情で月から持ち帰られたマザーは、そうではない。

命令通り、地球に降り、目覚め、そして増えようとする。

月のマザーの侵略に対し、主人公は「そんなことしていいのか」と憤る。

月のマザーは、生き物が他の生き物の命を奪い、侵略することは普通だと答える。同じなら奪い合い、違えば攻撃し合う。善でも悪でもない。それが生命の本質なのだと。

「お前たちだってそうだろう。知らぬとは言わせないぞ」

それは、人間も繰り返してきたこと。人種差別。戦争。環境破壊。そもそも、この災厄を招いたのも人間の自分勝手な行いのせいなのだ。

だから、異星起源種であるメダロットは人間の敵になる。

けれど、主人公は相棒と手をつないで叫ぶ。

同じだから楽しいこともあれば、違うから楽しいこともある。

お前たちとは違う、と。

しかし、その直後、悲しいかな、自衛隊が発射したミサイル群により月のマザーは破壊されてしまう。

「これが真実なのだよ」

月のマザーが言ったことは正しかった。人間は、同じなら奪い合い、違えば殺し合う「生命」の呪縛から逃れられなかった。

主人公と、物語にどっぷり入り込んでいた僕は何も言い返せなかった……。














「まあ、良かろう」

最後のページのこの一言に、どれだけ救われたことか。

歳をとると涙腺が緩くなっていけません。よそから見たら、なんでお前これだけのことで泣いてんの?って思われるかもしれないけど、だって救われたんだもん。

いやまあ、なんですかね。やっぱりSFってジャンルはいいっすね。

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アニメ版FateUBWが終了しました。

とても静か映像と語り口で、ああ、終わってしまったんだな、と痛感。エピローグにふさわしい一幕だったと思います。

正直なところFateシリーズは増加の一途をたどり、ファンを公言している僕自身、触れていない作品群が多い。僕が知る限り、今回の最終話はオリジナルなのでしょうか。

目を引くのは、ウェイバーと士郎の僅かな邂逅。聖杯戦争を生き残った者同士の語らいが印象的でした。ウェイバー、そこの少年はあんたの王の仇を討ったんだよ。

うーん。それにしても士郎と凛のイチャラブっぷりが酷いね。


やっと急ぎの仕事が片付いたかと思えば、容赦なく現れる新しい仕事。

そろそろ仕事って何のためにするんだっけという根源的疑問点に行きつきそうな気配。

誰にも縛られたくないとか、自由が欲しいとか、そういう尾崎豊的な中学生の心境ではなく、自分が自分らしくあるためにという槇原的な自己実現の心境よ。

自分という確固たるアイデンティティがあるからこそ、それに背いている現状が苦痛である。

仕事が嫌なんじゃなくて、そのために自己を犠牲にするのが嫌なのだ。

プライベートと仕事を両立できれば一番いいんだけれど、そこで現れる問題点。

経営者は仕事大好き人間を求めているということ。

そりゃ、あんたたちはさあ、好きで始めた仕事だろうけどさあ。

全員がそうだと思うなよ。

雨が降った。

濡れて家に帰った。

鞄の中に入れっぱなしだった藤沢周平先生の隠し剣孤影抄がずぶ濡れだった。

ぬあああああああああ……!

やっちまったYO!

これ、近所に売ってなくて都市部まで買いに行ったやつじゃねぇか……!

うーん……また買い替えなきゃな……。

ちなみに隠し剣シリーズだと竜尾返し、鬼の爪、谺返しが好きです。藤原周平先生の書く女性はかわええのですよ。時代小説なのに普通に萌えるのですが。

1960年代、デンマークのバンク=ミケルセンによってノーマライゼーションという概念が提唱されました。

このノーマライゼーションというのは、「健常者と障害者はお互いが区別することなく、社会生活を共にすることこそが正常である」というものです。

障害者が保護の名目のもと、地域社会から隔離されてきた背景もあります。彼らが、一人の人間としての人権を遵守され、地域社会の中で生きていく権利があるというのは、至極まっとうな意見だと思います。

この概念は、福祉に関わる人間であれば基礎知識のようなものではありますが、僕は大学でこの言葉を聞いた時から何とも言えない拒絶感がありました。

それを明確に「あ、違うわ」と感じたのは社会に出てからです。

僕の職場には以前、過度に緊張すると過呼吸を起こす同僚がいました。

なので、もし「過呼吸を起こしたら、少し現場を抜けさせて欲しい」と訴えがあり、僕個人としては「まあ、問題ないだろう」と思いましたが、形式上、上司に相談しました。

「は?仕事やろうもん?」

その時の上司の言葉が忘れられません。

その人は、持病を抱えながらも、その人ができる限りのことをしようとして、そう言ったのだと思います。決して楽をしようとか、そういうことじゃなかったと思います。

けれども、返ってきたのはそういう言葉でした。仕事だから、自分で相談しに来い。仕事だから、それくらいコントロールしろ。仕事だから……

ああ、そんなんだから――

これがきっと就労している障害者だったら擁護されたんでしょう。仕事の量を調整してもらったり、労働時間を考慮してもらえたのでしょう。

けれど、その人は過呼吸があるだけの健常者。障害者ではない。だから、個別での配慮はしてくれない。

ですが、これが現実です。本当にノーマライゼーションを謳うのであれば、彼らが受けられる支援は僕たちが受けられるはずだし、僕たちが負うべきものは彼らも負わなければならない。

けれども、障害者ばかり人権が意識され、それを支える僕たちの人権が意識が向いたことがあったか。

その人は辞めました。当然だと思います。一般の会社ならばともかく、仮にも福祉を提供する職場で、利用者には最大限配慮して、職員には配慮しないとか、意味が分からない。

僕の言葉は感情的で、正論を欠いているでしょう。ですが、これを違うというのなら、そもそもノーマライゼーションという言葉を撤回してほしい。そんなものを謳う資格はない。

厳しい話ですが、僕たちと彼らは対等ではない。

それを理由に差別することはありませんが、人権を最大限尊重しなければならないのは、健常者も障害者も一緒でしょう。

だから、本当のノーマライゼーションがあるとすれば、健常者と障害者の垣根を越えて、僕たち個人一人ひとりが幸せを享受するという権利を擁護することだと思います。

そもそも、自分を大事にできない人間が、他人を大事にできるわけがない。

自分が幸せでないのに、他人を幸せにできるはずがない。

福祉という言葉は、幸せという意味です。

僕たちがそうでないのに、どうして利用者を幸せにできようか。

このことを上司に言っても、どうせ「仕事やろうもん」って返ってくるんでしょうね。

健常者をひとくくりにまとめようとするその言葉が、健常者への差別だと、僕は思うのですが。



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創作家になれるよう、亀の歩みで成長中。
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